1965-07-31 第49回国会 衆議院 外務委員会 第1号
○安川政府委員 先ほど申し上げましたように、通告がありました以後も発表がなされたのかどうか、あるいは現実に爆撃がなされたかどうかが不明のままで推移いたしたわけでございますけれども、その日の午後に私がエマーソン代理大使を呼びまして、次のように申し入れいたしました。
○安川政府委員 先ほど申し上げましたように、通告がありました以後も発表がなされたのかどうか、あるいは現実に爆撃がなされたかどうかが不明のままで推移いたしたわけでございますけれども、その日の午後に私がエマーソン代理大使を呼びまして、次のように申し入れいたしました。
○安川政府委員 正式かどうかということになりますと、先ほど御説明しましたように、いま大臣が言われましたような趣旨は、私が日本政府を代表いたしましてエマーソン代理大使を呼んで伝えたわけであります。
御承知のように、東京における協議委員会のメンバーは、わが国におきましては外務大臣、総理府総務長官、それから米側はライシャワー・アメリカ大使、現在はエマーソン代理大使でございますが、現地の技術委員会におきましては、アメリカ側は最近委員がかわりまして、コブという高等弁務官特別補佐官、日本側は南方連絡事務所長、それから琉球側は琉球政府の副主席でございます。
で、きのうエマーソン代理大使がそれを受けて、具体的には、アメリカとしてはその後二十五カ国に接触を持ちまして、各国の対ベトナム援助を要請いたしておりますということと、すでに日本は賠償を通じ、あるいはコロンボ・プランを通じましてベトナム援助をしていただいておることは重々承知いたしておりまするが、なお一段と援助をしていただくことになりますならば非常にしあわせだという前置きで、例示的な援助提案というものがございました